「マンディアルグ追悼」

私は、平凡な家庭とはほど遠い両親・親族のもとに生まれ、思えば幼いころから、常識はずれな大人たちの姿を、ごく普通の景色として眺めていた。
毎晩のように客人が訪れ催される酒宴。嗚咽を繰り返す父。
飲みつぶれて泊まり込んだ土方巽は、目覚めに「爽快だ~」と、はきだしの窓から庭に向かって小便を放っていた。
いつもと変わらない日々。

そんな躾のためか、どこか今の私は、他の方々と感覚的なズレが大きい。
今更どうでも良いことだが、それが不遇だったのかどうか、これを考えだすと妙な虚無感に襲われることがある。

ところが最近、手元の資料を整理していて、懐かしいものが出てきた。
これを見て私は、不思議な幸福感に包まれた。
父が、フランスの作家アンドレ・ポール・エドワルド・ピエール・ド・マンディアルグが亡くなった際に、認めた追悼文原稿である。

私の幼いころ、その夜も父は客人たちと盃を交わしていた。
廊下に置かれている黒電話が鳴った。
受話器をとった私の耳元で、「ボンジュ~ル…」と男性の声が聞こえる。もちろん何を言っているのかサッパリわからない。
ただ「マンディアルグ」という言葉だけは、私にもわかる。
当時、マンディアルグの翻訳を多く手がけていた父の会話に、たびたび出てくる聞き慣れた名前だった。
「お父さん、マンディアルグさんから電話。」
ふらふらと電話機に向かった父が、日本酒の効果なのか流暢なフランス語で話しをしていたのを覚えている。
小学生だった私、無条件に守られていたころの懐かしい思い出である。

さて、今回の「マンディアルグ追悼」の原稿だが、1991(平成3)年12月に書かれたものである。父が亡くなる3年前のことだ。
この原稿を書いて間もないころ、父はある事情があってこの原稿を私に託した。
その<わけ>は、残念だがお教えできない。

無限の恐怖を秘めた社会から幼い私を守ってくれていた不夜城の記憶、そして晩年の父との秘め事。

ほろ酔いの、うたかたの夢・・・

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