『鏡花本今昔』原稿

生田敦夫   

父・生田耕作晩年のエッセイ「鏡花本今昔」が、浪速書林の故・梶原正弘氏の依頼で書き下ろされたのが1993年(平成5年)5月のこと。
その翌年10月21日に、生田は前立腺癌からの転移癌で他界した。

さて、この鏡花本今昔には小さな逸話がある。
少年時代から長年犬猿の仲だった父と私は、私が2年間の富山生活から京都に戻った30歳のときに和解。
それ以後、不仲の期間をお互いが取り戻すように、酒を酌み交わし、古書店を周り、晩年までさまざまな時間を共にした。

そんな晩年のある日、父から私に電話があった。
「敦夫、浪速書林から泉鏡花について書いてくれと依頼があったんやけど、書きたいことが浮かんでこないんや。敦夫が書いてくれへんか?」
冗談じゃあない。
いくら何でも若干30代の私が、天下の浪速書林の序文を引き受けられるわけが無い。

そして、何とか数週間後に父は原稿(『大衆小説特輯』序文「鏡花本今昔」)を書き終えた。
掲載の写真は、その数ヶ月後に譲り受けたものである。

翌年、父の死後、浪花書林・梶原氏から依頼があり、私が次号『泉鏡花特輯』の序文を引き受けることとなる。

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